弁護士 古川拓からのメッセージ
ニュースを見て思うこと(4) -明石歩道橋事故検審起訴相当議決-
明石歩道橋事故に関して,検察審査会が「起訴相当」決議をしたため,当時の明石警察署副署長が公訴提起を受けることになりました。
このことについて,産経が以下のニュースを出していました。
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被害者救済?感情に流される?「起訴議決」冷静な検証を
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100127/trl1001272106013-n1.htm
2010.1.27 21:05
明石歩道橋事故をめぐり、元副署長を業務上過失致死傷罪で起訴すべきだとした神戸第2検察審査会(検審)の議決。改正検察審査会法に基づき導入された「起訴議決制度」で、弁護士が“検察官役”として、強制的に起訴する全国初めての例となった。
そもそも、こうした検審の権限強化は、昨年5月にスタートした裁判員制度、また、一昨年の12月に導入された刑事裁判への「被害者参加制度」とあわせた司法制度改革の一環だった。従来、法曹関係者だけで進められてきた司法手続きに、国民の常識や視点を反映することで、司法をより身近にし、信頼を高めることが狙いだ。
刑事事件で容疑者を裁判にかけるかどうかの起訴・不起訴の判断は検察官だけが独占してきた。ただ、被害者や遺族にとって、その判断はこれまで、必ずしも納得できるものではなく、「国民の常識とかけ離れている」と批判されることもしばしばだった。検審が“最後の砦(とりで)”だったが、議決に拘束力がなかったことで、結果的に泣き寝入りするしかなかったといえる。
ただ、強制起訴は、無実の人を裁判にかけられるほどの強い権限を検審が持つという側面もある。結果の重大性や、その犯行の無残さから、起訴判断に冷静さが失われてしまう可能性もゼロではない。たとえば、業務上過失致死傷罪に問うには、事故を予測できたかどうかについて、緻密(ちみつ)な立証のもと、厳格に判断する必要がある。それだけに、神戸地検は4回にわたって不起訴と判断してきた。
一般の健全な感覚を反映した被害者救済策として機能するか、司法が感情に流されることにならないか。今回の起訴議決で開かれる公判の行方に注目し、検証する必要がある。
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上記の記事の論調には,大いに疑問を感じざるを得ません。
これまで検察が「不起訴処分」をして問題になってきた事例は,いずれも今回の歩道橋事故のように検察・警察の不祥事など「身内」の事件か,JR西日本など大企業の経営トップに対するものが多いです。
結局,検察審査会が担っているのは,検察が自浄能力を果たせなかったり,勝手な一種の「政策的不起訴」を行った際の市民サイドからの歯止めだと思うのです。
検察が「不起訴処分」をした場合,捜査で検討されたほとんど全ての資料は日の目を見ることがありません。
たとえ被害者本人であっても,公訴提起がなされない限り,一体何がどうなっていたのかを一切知らされない,ということになってしまうのです。
これは,被害者(あるいはご遺族)の心のケアという観点からも,再発防止等の善後策,という観点からも妥当でないと思います。
また,何よりも「何が真実か」という点について批判に晒されることがない,というのはいかがなものかと思います。
産経の上記記事は,検察が「緻密(ちみつ)な立証のもと、厳格に判断」したことを当然の前提(「それだけに,神戸地検は4回にわたって不起訴と判断してきた」とまで言っています)として,今回の「起訴相当」議決が,感情に流された結果であるといわんばかりです。
この記事を書いた人は,一体何を根拠にそのように判断したのか。どんな事実や証拠を知ってここまで書いているのか。
自分自身こそ検察からの説明だけを鵜呑みにして「不起訴相当」という先入観だけで判断しているだけではないのか。
こういう記事を見ると,ニュースを書く記者が「事実」に基づかず偏見を振り回すことの危険性を感じずにはいられません。
(2010/01/27)
大山崎水裁判
先週土曜日に,大山崎町と京都府の府営水道を巡る訴訟について,長岡京市の市民団体向けの講演を行ってきました。
この裁判は,現在京都地方裁判所で争われており,3月に判決が出ます。
争点を,誤解を恐れずに単純化すると,
①大山崎町の「府営水道を1日3704立方㍍だけ買います。」という「申込」と,
②京都府の「府営水道を1日7300立方㍍買いなさい。」という「決定」の,
どちらが法的に正しいと言えるか,ということになるかと思います。
このことを巡って,行政法上・契約法上の理論的な争いから事実認定まで,様々な争点が出てくるのですが,私としては,この裁判は,地方分権のあり方を問う,非常に根深い問題だと考えています。
歴史的に見て,府営水道をはじめとする水政策が,国(国土交通省)や京都府の主導によってつくられ,流域の地方自治体がこれを下請けする形で進められてきていますが,これに大山崎町が「モノ申し」てこの裁判が始まったわけです。
しかし,そもそも憲法上,都道府県と市町村は「上下関係」ではなく,「独立・対等」が大原則のはずです(これを憲法学上の言葉で「団体自治」といいます)。
これまでは,「国→都道府県→市町村」,という上下関係の構造ができていて,各自治体は上位の機関の下請けをさせられてきたという歴史的経緯があります。
とはいえ,原則論から言えば,京都府が大山崎町に一方的に水道水の引受を強制できるとすれば,それは対等とは言えないでしょう。
結局,京都府側としては,一旦計画を立てて始めた以上,計画通りに市町村が水を買ってくれないと財政破綻になりかねない,という偽らざるホンネがあるわけです。
そうならないためにも関係市町村としっかり協議を行っていく,それが政治というモノですが,今回の京都府の対応は,少なくとも記録を見る限りそういう姿勢ではなかったように思います。
そういったことも含め,私としては,今回の争いは(最終的決着はともかく)大山崎町に理がある,と考えています。
もっとも,裁判所が弱者である大山崎町を勝たせるためにはそれなりの勇気が必要で,判決自体は予断を許しません。
ただ,この問題は裁判の帰趨を問わず問題になり続けますので,注目して見守っていきたいと思います。
(2010/01/26)
12月になりました。
早いもので,もう12月になってしまいました。
前回このページの更新をしたのが6月(!)ということで,あまりにも時間が経ってしまいました。。
未だ総括をするのは早いのですが,今年の夏以降は,極めて目まぐるしく忙しく,なかなか更新まで手が回らなかったというのが実情です。
この間に,長年取り組んできた事件が何とか峠を越えたり,逆に不当な裁判を受けてしまい,唖然としたこともありました。
ただ,この間,らくさい法律事務所を開設してから依頼をお受けしたお客様で,無事に解決に至った事件が数多く出てきています。
一部は差し支えない範囲で「お客様の声」などで紹介させていただいていますが,そうでないお客様でも,ご満足をいただけた方がおられたことはとても良かったと思っています。
月並みかもしれませんが,当初は厳しい顔つきや困り果ててこられた方が,問題が解決して明るい顔になられることは弁護士冥利に尽きます。
そういう,事件が良いかたちで解決した夕方や夜に,街をゆっくり流しながら歩くのが好きです。
私自身は酒もタバコも全くやらないのですが,「多分,こういうときには酒やタバコが美味いんだろうな」などと思ったりもします。
年末も多忙になってくるかと思いますが,気を引き締めつつやっていきたいと思います。
(2009/12/06)
ニュースを見て思うこと(3) その1
以下のニュースを見て,色々考えました。
法科大学院59校が定員割れ 今春入学、13校は50%未満(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009060501000739.html
現在,弁護士になるためには,大学を卒業後,年間200万円~300万円近くの学費を2年~3年支払って法科大学院(ロースクール)に通う必要があります。
その後,司法修習生と言う名の研修期間を1年間経た上で資格が与えられるのですが,この司法修習生時代に受けていた給与(おおよそ1年で300万円強)が2年後から貸与制になるといいます。
ということは,生活費や書籍代(これも馬鹿になりません)を除いても,弁護士になるための費用として,約700万円~1000万円くらいがかかるということです。
これを全て奨学金などでまかなうと,弁護士になった時点で,これと同じだけの借金を抱えて仕事をスタートすることになるわけです。
これは,よっぽど収入が高くないと,自己破産申し立てが認められてしまうくらいの危険水域だと思うのですが,弁護士は自己破産をした場合資格を失ってしまいますので,破産することもできません。
また,多くの場合,奨学金の連帯保証人に親御さんなどがついておられるので,その点でも自己破産は簡単にできません。
しかし,少なくともこの間,新人弁護士の給料(勤務弁護士を「イソ弁」と言います)は下がり続けていて,ひどい場合には給料なしで自分で事件を取ってきなさい,という「ノキ弁」という言葉ができたりしています。
しかも,弁護士は個人事業者ですので,多くの場合,社会保険・年金などは自己負担,当然退職金制度などもありません。福利厚生は限りなくゼロに近いです。
以上を総合すると,こういうことになるのではないかと思います。つまり,
親御さんが弁護士になるための費用である700万円~1000万円を用立ててくれる家庭でない限り,弁護士という進路を選択することは,経済的にかなり厳しい状況下に置かれる可能性が高い,ということです。
もちろん,弁護士は,自分自身が額に汗して動く職人的な仕事ですので,決して割の良い仕事ではありません。
しかし,お客様の人生や,会社の命運がかかった事件を扱うことも少なくありませんし,高いモラルを持って仕事をすることが強く求められます。
お客様も,「弁護士だから」ということでご信頼いただき,色々なご相談をしていただけるのだと,日々の仕事をしていて実感しています。
しかし,「貧すれば鈍ず」ということが,この間の弁護士の増員を見ていると,リアルに感じることがあるのです。
その具体的な例を,次回に述べたいと思います。
(2009/06/10)
真実の発見
ずいぶん更新ができていませんでした。
最近,最高裁で,大きな事件の判決が2つ出ました。
①防衛医大教授の痴漢えん罪事件(4月14日)と,②和歌山毒物カレー事件です。
それぞれ,①は逆転無罪,②は1,2審を維持して死刑判決確定,と明暗を分けましたが,どちらも色々考えさせられることの多い事件でした。
特に①は,判決文を読むとわかるように,5人の裁判官が3対2だったということなので,まさに紙一重の結果でした。
②はまだ判決文が出ていないので何とも言えませんが,直接証拠(犯行自体の目撃証言など)がない状態で,間接事実を積み上げ,推認によって有罪認定していることから,どのような判断をしているかについては一読の価値がありそうです。
いずれにせよ,刑事裁判というものは,過去に発生した(と思われる)事実が何であったか,真実に迫る手続です。
ビデオカメラで撮影でもされていない限り,実際に何が起こったのかは,まさに神のみぞ知る,ということですが,様々な証拠を検討する中で,少しでも誤りがないように万全の注意を払っていく必要があります。
もちろん,現在刑事裁判に携わっている裁判官は,過去に蓄積された誤認を防ぐ手法をつかって証拠を検討し,結論を出していきます。
ただ,やはり生身の人間がこれを行うために,どうしても誤りが出てしまう可能性が否定できません。
そこで,「疑わしきは被告人の利益に」という原則のもと,えん罪が起こらないように無罪判決を出すことになるのです。
ちなみに,日本の裁判制度は欧米のものを取り入れているわけですが,例えば英語で,有罪は「guilty(ギルティ)」といいます。
これに対して無罪は「innocent」と言いたいところですが,実は「not guilty」というのが正解です。つまり「有罪か無罪か」ではなく,「有罪かそうでないか」を判断しているのです。
日本では,「有罪・無罪」というため,その間にどっちつかずの空間があるように思え,「何となくあやしい」「灰色を逃がすのか」というイメージがあります。
しかし,裁判が,国家による刑罰をその人に与えて良いかを問う制度である以上,「有罪であると証明できなかった以上は刑罰を加えるべきでない」という大原則に立ち返ることがやはり大切ではないでしょうか。
最初に挙げた2つの事件は,それこそ膨大な証拠資料を読み込み,検察側と弁護側が主張を尽くした中で判断されています。
法的には一応の決着が付いた形ですが,今後も検証が必要となってくるものと思われます。
(2009/04/22)
We Shall Overcome Someday.
先週の金曜日(3月13日),京都職対連の40周年レセプションに参加してきました。
職対連についての詳細はリンクを貼っていますのでそちらに譲りますが,職業病,つまり労災認定や再発防止などの観点から労働問題に取り組むネットワークです。
私自身,今の事務所を構えてから,過労死や過労自殺の問題,あるいは労災や安全配慮義務の問題に取り組む際に,ケースによっては職対連と連携しながら取り組んでいます。
今回のレセプションは,長年事務局長を務めてこられた方が定年退職を迎えられ,今まで取り組んできた多くの事件を振り返りながらのスピーチがありました。
「けいわん」やユニチカの二硫化炭素中毒事件に始まり,過労死・過労自殺問題に至るまで,長く苦しいたたかいの,しかしとても心あたたまる思い出話を聞き,目頭が何度も熱くなりました。
しかし,なんと言っても感慨深かったのは,最後に参加者みんなで歌った「We shall overcome」でした。
この歌は,アメリカの公民権運動の時に歌われたと聞いています。
しかし,今日においては,過労死・過労自殺事件をはじめ多くの労災・労働事件において,とてもよくマッチしている歌だと思います。
「We shall overcome someday.deep in my heart,I do believe.」
(いつの日か,私たちは乗り越えていく,私はそのことを心から深く信じているのだ)
家族を失った悲しみ,体の健康を失ってしまった悲しみや苦しみは消えることがない。でも,いつの日か私たちはみんなでそれを乗り越えていく(いける)んだ。。。
この中には,自分たちと同じような被害・犠牲者がもう二度出てほしくない,という切なる思いも込められているように思います。
私が特に好きだな,と思うのは,最初が「We」という点です。
人間にとって,大きな悲しみや苦しみを一人で乗り越えていくことは,非常な困難を伴います。
特に過労死・過労自殺事件のように,大切なご家族が亡くなってしまわれた場合にはそうだと思います。
そのとき,ご自身だけで辛さを抱え込んでしまうだけではなく,ご家族を支える周りの人や私たち弁護士と気持ちを共有することで,「孤独」や見通しの立たない辛さを,少しでも軽くすることができるかと思います。
そして,事実が何であったかを明らかにし,残されたご家族が今後の生活についての正当な補償を受ける中で,亡くなった方の名誉も回復され,さらに再発防止のための取り組みがなされる先に,亡くなられた方の死を「overcome」していけるのだと思います。
決して忘れない,しかし残された人たちと一緒に再び歩きはじめる,という意味で。
最後に,参考までに1,2番の歌詞をあげておきます。邦題では「勝利を我等に」という訳が付されていますが,個人的には「overcome」するのはもっと広く,それぞれの心の中のことまで含んでいるような気がしています。
1.We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome someday
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday
2.We shall hand in hand
(いつの日か,私たちは手を携え,共同する,私はそのことを心から深く信じているのだ)
We shall hand in hand
We shall hand in hand someday
Oh deep in my heart
I do believe
We shall hand in hand someday
(2009/03/16)
支払督促のメリット・デメリット -「管轄」に注意!-
よくホームページなどで紹介されている手続きに,「支払督促」があります。
よくある説明では,
(1)内容証明付き通知書と違い,相手方が放っておくと裁判所の判決と同じ効果がある,
(2)訴訟よりは簡単な手続きだし,相手が驚いて払ってくる可能性が高い,
(3)相手方から争われない限り,印紙代が半額で済む,
などと書いてあって,ずいぶん便利な制度であるように説明されています。
しかし,この制度を利用するかどうかを決める前に,以下の3つの点についてしっかり考える必要があります。
1.相手が不服であれば1枚の紙で自動的に訴訟に移行すること
支払督促が来た場合,同封されている異議申し立ての用紙に名前などを書き込んで返送さえすれば,支払督促は自動的に訴訟に移行します。
訴訟に移行した段階で,裁判所から印紙代についても残りの半額を納めるように言われます。
しかし,逆の立場で考えてみて下さい。あなたの相手は,話し合いをしてもお金を払ってくれなかった人です。
そんな人が,支払督促が来たからと言って,一切の異議(言いがかりも含め)も出さずに,大人しく支払ってくれるでしょうか。
2.支払督促から訴訟になると,相手の住所地で裁判(訴訟)することになること
支払督促に対して相手から異議が出されると,相手の住所地に近い裁判所で訴訟が始まります。
つまり,相手方の近所に出向いて訴訟をすることになります。もちろん,あなたも相手方も同じ都道府県に住んでいるなどで,いずれにせよ同じ裁判所である場合には大差ないでしょう。
しかし,はじめから訴訟という手段をとるのであれば,裁判所は債権者であるあなたの住所に近い裁判所になります。
これは,日本の民法で「持参債務」原則(お金は相手のところに出向いて支払うべき)が採られていることによりますが,支払督促という手段を使うことは,このメリットを自ら放棄することを意味します。
相手が遠隔地にいる場合は,よくよく考えて見る必要があると言えるでしょう。
3.相手に逃げる時間を与えてしまう可能性があること
これは,「とりあえず内容証明にご注意」でも触れているので詳細はそちらに譲りますが,不用意にこちらの態度を相手に知らせることで,相手に逃げられないかどうかを考えるべきだということです。
不用意に支払督促を送る前に,債権の保全の必要性があるかどうかを検討する必要があると言えるでしょう。
このように書いてくるとおわかりかと思いますが,支払督促が有効な場合は極めて限られています。
もちろん,支払督促が有効であるケースがあることは否定しません。しかし,上の観点から,その有効性を検討する必要があると考えています。
(2009/02/20)
ニュースを見て思うこと(2) 過労自死認容判決
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090203ddm041040020000c.html
損賠訴訟:「過労でうつ自殺」認定 農協に1億円賠償命令--北海道・釧路地裁支部
(毎日新聞 2009年2月3日 東京朝刊)
過労自死の判決ニュースです。「派遣切り」に代表される首切りが横行する一方で,労働者の心身の健康に対する安全を配慮しない雇い主がいることについて,非常な怒りを感じます。
以前,某派遣会社の社長が「過労死は自己責任」という暴言を吐いていたことが問題となりましたが,このような時代だからこそ,働く人の命や健康をまもる活動が,とても大事になってきていると感じます。
(2009/02/03)
情熱の大肯定
ビデオレンタルで,映画を借りてきて観ました。
私はいわゆる「青春モノ」が好きで,一般的には「ハズレ」といわれそうな作品でも,わりと感動をもって観たりしています。
今回借りて観たのは「うた魂(たま)」。
「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」と同じ「学園青春コメディ」とでもいうジャンルです。
私が知る限りメジャーにはなっていないようなので一般受けはしなかったのでしょうが,コーラスや合唱が結構好きだったこともあり,気持ちよく観ることができました。
夏帆演じる主人公の自意識過剰・妄想ぶりが,自分の中学・高校生だったころを思い出させ,「あぁ,自分もこんな風に日々妄想に耽っていたなぁ」と恥ずかしくも微笑ましかったのですが,一番印象に残ったのは,ゴリ演じるヤンキー番長が言う,この言葉でした。
「必死になってる顔に疑問を持つようなヤツは,一生ダセェまんまだ!」
そうです。私が「青春モノ」が好きなのはこれだからです。「情熱の大肯定」とでもいうべき,この堂々さ。
もちろん,必死になりさえすればいい,ということではありません。必死にならないとダメ,とも思いません。
しかし,(特に若者が)ひたむきになれること,ひたむきになること,それ自体をまずは賞賛したいと思うのです。
仕事でも何でも,情熱をもって取り組むことで見えてくる,そういうものが確かにあると思います。
弁護士の仕事をしていると,情熱を持つことがとても大切だと実感することがしばしばあります。
人同士の事件はもちろん,会社の事件であろうと,弁護士の仕事は人と人とのトラブルを整理し解決するものです。
そして,いくら法律の問題を扱うといっても,人間社会の問題は最後は心と気持ちの問題であることがとても多いです。
人のことを想う熱い思い,不正を憎む正義感,思いを叶える事に向けたひたむきさなどが,状況を好転させていくことが少なくありません。
もちろん,私自身の情熱は,中学生や高校生とはまた異なった形での表し方になっているでしょう。
しかし,根っこのところでは同じだと感じ,シンパシーを感じているのです。
コメディも交えて軽快に,しかしハートはあくまで熱く,そんな「青春モノ」を共感しながら観ています。
(2009/01/31)
ニュースを見て思うこと(1)
更新から遠ざかってしまっており,すみません。
フランスで100万人規模のゼネストが起こっているようです。
「仏で100万人ゼネスト、大統領の危機対策に抗議 一部は機動隊と衝突」(1月30日 AFP)
http://www.afpbb.com/article/economy/2565942/3738075
昨今の派遣切りの状況などから考えれば,日本でもこのような動きがあってもおかしくないように思うのですが,なかなかそうはいかないようです。
印象的なのは,こういった働く人たちの動きを,世間の人たちが指示していることです。
日本ではともすれば「下見て暮らせ」的発想から,声を上げた人たちに対する風当たりがかえってきつくなってしまう風潮があるように思います。
立場の違いはともかく,声を上げること自体に対する理解(共感でなくても)を持つことが大切だと思います。
(2009/01/30)

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