弁護士 古川拓からのメッセージ
前野弁護士事件に際して
以下の記事,すでにご存じの方も多いかと思います。
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弁護士・前野さんの無念の死悼む 「早急な真相究明を」
http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060601000244.html
横浜市の法律事務所で2日に刺殺された弁護士前野義広さん(42)の告別式が6日、同市西区の斎場で営まれ、遺族や弁護士仲間ら約100人が無念の死を悼んだ。
告別式は非公開で行われ、遺族の代理人によると、親交があった弁護士らで会場は満席となった。式の後、ひつぎを乗せた車が斎場を出発すると、参列者は手を合わせ、ハンカチで目頭を押さえる女性もいた。
前野さんの知り合いだった女性(35)は「残念な思いでいっぱい。仕事熱心な人だった。こんな被害に遭う人ではないのに」と言葉を詰まらせ、勤め先の事務所所長の影山秀人弁護士は「輝かしい将来を奪った犯人に対して憤りを禁じ得ない。捜査当局の早急な真相究明を心から望む」とのコメントを出した。
2010/06/06 16:29 【共同通信】
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まずは,心からご冥福をお祈りします。
そして,まさに「他人事ではない」と思いました。
私たち弁護士は,依頼者の方の利益を守るために,いわば「盾」として相手方と向き合うことがあるため,相手方との間で,恨みや不当な攻撃を受けることがあります。
もちろん,私としては,可能な限り理や誠を尽くして説得をします。
しかし,相手を選ぶことはできないため,そもそも無理難題を言ってこられる方や,精神的なバランスを崩しておられる方を相手方にされる場合,なかなかお話が通じないこともあります。
また,少なくとも感情的なレベルでは,相手方がそのように考えられるのも無理からぬケースもあります。
そういった場合に,不本意ながらも相手の機嫌を損ねてしまう場合があります。
相手の不当な要求に屈してお客様の利益を損ねてはいけませんが,避けられるトラブルに巻き込まれないように,気を引き締めていきたいと思った次第です。
(2010/06/06)
ご迷惑をおかけしました。
先週末から,ホームページやメールが使用できないという事態に陥ってしまっていました。
当事務所のドメインである「rakusai-law.com」について,更新手続きができていなかったという理由によるものでした。
急にメールやホームページが使えなくなり,「なぜだ,なぜだ!」と慌てていたのですが,サーバ会社に問い合わせると,更新手続きができていないということが判明しました。
さらに詳しく聞けば,①「サーバレンタル料」と②「ドメイン使用料」は別だということで,今回は②が更新できていなかったのです。
私としては,①と②との区別がよくわかっておらず,①を支払って安心していたところ,今回の事態になってしまいました。
調べてみると,年明けにそれぞれの更新を促すメールが来ていたことがわかったのですが,それを読んでもイマイチわかっていなかったのですね。。
ネット社会では,ホームページやメールが使えなくなると,まるで電話や家の表札がないだけでなく,まさに「存在しない」状態になってしまうわけで,
「たった」4,5日だけでも,十分そのオソロシさを痛感した次第です。
今後は,こういったことのないように,気をつけていきたいと思います。
ご迷惑をおかけした皆様,大変失礼いたしました。
(2010/04/06)
「カンテツ」な女?
最近,NHKが「カンテツな女」という番組をやっています(番組紹介は以下のリンクをご参照ください)。
http://www.nhk.or.jp/kantetsu/index.html
この番組の中では,まさに「カンテツ(完徹=朝まで一睡もしない)」をして働く女性たちが描かれています。
不況と閉塞感が漂う中で,「がんばっている女性を生き生きと描く」という番組制作者の気持ちがあるのだと思います。
確かに,バンクーバーオリンピックで一所懸命な選手のように注目を浴びなくても,世の中でがんばっている人たちに脚光を充てること自体は悪くないと思います。
しかし,そこに,負の側面や危険があることもまた,しっかりと位置づけてほしいと思います。
労災事件,特に過労死(脳・心臓疾患)事案を担当していると,カンテツすることによる脳・心臓への負担は相当なものになることが分かっています。
例えば,会社でトラブル発生(顧客への納品ミス)で1昼夜ぶっ続けで対応に追われ,その結果脳や心臓疾患を発症して亡くなられた,などということが起きれば,労災認定される可能性はかなり高いものと思われます。
一所懸命がんばること自体を否定はしません。時にはやむを得ない場合がありうることも理解できます。
しかし,負の部分を取り上げずに手放しで礼賛するのはいかがかと思います。
上に書いたNHKのページでは,「カンテツな女」募集!,となんだか面白半分です。
しかし,過労死や過労自殺の事件を扱っていて感じるのは,現実はそんなに美しくなく,その中で身を削る思いをして悩み,必死で対応し,そして倒れていった方たちがいます。
そういう意味では,こういった軽いタッチというのはいかがなものかと思います。
朝日新聞が,この番組に対する以下の記事を取り上げていますが,過労死弁護団に所属する私としても,家族の会と同じ思いでいます。
最後に一言,NHK担当者が「法令などを考慮しながら番組制作を進めており、内容に問題はないと考えています」と述べたとされますが,一体どういう法令を考慮したというんでしょうかね。。
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NHK「カンテツな女」改善を 過労死遺族が抗議
http://www.asahi.com/national/update/0227/OSK201002260207.html
徹夜で働く女性の姿を追うNHKのドキュメンタリー番組「カンテツな女」について、過労死遺族らでつくる「全国過労死を考える家族の会」(東京)などが、長時間の深夜労働を礼賛するような内容だとしてNHKに改善を求める申入書を23日付で送った。
番組では、美容師やトラック運転手ら夜を徹して働く女性の仕事ぶりや生き方を紹介。1月20日から毎週水曜の午前0時10分から放映され、来月3日が最終回の予定。
今月17日の放送分では、30代の居酒屋チェーン店長が1日17時間近く働き、週平均5日の徹夜勤務をこなしているとされ、本人の「今はすごい幸せです」という言葉も伝えられた。申入書は「力強い生き方には感動するが、常軌を逸した長時間の働き方に無批判な番組づくりは疑問」として、過労死の危険性も踏まえた番組制作を求めている。
連名で申し入れた過労死弁護団全国連絡会議(東京)の代表幹事を務める松丸正弁護士(大阪)は「連日の徹夜勤務が過労死や過労自殺を招くことはこれまでの裁判でも明らか。心身の限界まで働くことを美談とするべきではない」と話す。
NHK広報局は「法令などを考慮しながら番組制作を進めており、内容に問題はないと考えています。様々なご意見に謙虚に耳を傾け、番組づくりを進めていきます」との談話を出した。(阪本輝昭)
(2010/02/27)
ホームページをリニューアルしました。
従前のページは更新に様々な不便があったこともあり,このたびリニューアルをしました。
これを機会に,メッセージ欄や各分野のご説明を充実させていきたいと思います。
(2010/02/24)
ニュースを見て思うこと(4) -明石歩道橋事故検審起訴相当議決-
明石歩道橋事故に関して,検察審査会が「起訴相当」決議をしたため,当時の明石警察署副署長が公訴提起を受けることになりました。
このことについて,産経が以下のニュースを出していました。
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被害者救済?感情に流される?「起訴議決」冷静な検証を
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100127/trl1001272106013-n1.htm
2010.1.27 21:05
明石歩道橋事故をめぐり、元副署長を業務上過失致死傷罪で起訴すべきだとした神戸第2検察審査会(検審)の議決。改正検察審査会法に基づき導入された「起訴議決制度」で、弁護士が“検察官役”として、強制的に起訴する全国初めての例となった。
そもそも、こうした検審の権限強化は、昨年5月にスタートした裁判員制度、また、一昨年の12月に導入された刑事裁判への「被害者参加制度」とあわせた司法制度改革の一環だった。従来、法曹関係者だけで進められてきた司法手続きに、国民の常識や視点を反映することで、司法をより身近にし、信頼を高めることが狙いだ。
刑事事件で容疑者を裁判にかけるかどうかの起訴・不起訴の判断は検察官だけが独占してきた。ただ、被害者や遺族にとって、その判断はこれまで、必ずしも納得できるものではなく、「国民の常識とかけ離れている」と批判されることもしばしばだった。検審が“最後の砦(とりで)”だったが、議決に拘束力がなかったことで、結果的に泣き寝入りするしかなかったといえる。
ただ、強制起訴は、無実の人を裁判にかけられるほどの強い権限を検審が持つという側面もある。結果の重大性や、その犯行の無残さから、起訴判断に冷静さが失われてしまう可能性もゼロではない。たとえば、業務上過失致死傷罪に問うには、事故を予測できたかどうかについて、緻密(ちみつ)な立証のもと、厳格に判断する必要がある。それだけに、神戸地検は4回にわたって不起訴と判断してきた。
一般の健全な感覚を反映した被害者救済策として機能するか、司法が感情に流されることにならないか。今回の起訴議決で開かれる公判の行方に注目し、検証する必要がある。
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上記の記事の論調には,大いに疑問を感じざるを得ません。
これまで検察が「不起訴処分」をして問題になってきた事例は,いずれも今回の歩道橋事故のように検察・警察の不祥事など「身内」の事件か,JR西日本など大企業の経営トップに対するものが多いです。
結局,検察審査会が担っているのは,検察が自浄能力を果たせなかったり,勝手な一種の「政策的不起訴」を行った際の市民サイドからの歯止めだと思うのです。
検察が「不起訴処分」をした場合,捜査で検討されたほとんど全ての資料は日の目を見ることがありません。
たとえ被害者本人であっても,公訴提起がなされない限り,一体何がどうなっていたのかを一切知らされない,ということになってしまうのです。
これは,被害者(あるいはご遺族)の心のケアという観点からも,再発防止等の善後策,という観点からも妥当でないと思います。
また,何よりも「何が真実か」という点について批判に晒されることがない,というのはいかがなものかと思います。
産経の上記記事は,検察が「緻密(ちみつ)な立証のもと、厳格に判断」したことを当然の前提(「それだけに,神戸地検は4回にわたって不起訴と判断してきた」とまで言っています)として,今回の「起訴相当」議決が,感情に流された結果であるといわんばかりです。
この記事を書いた人は,一体何を根拠にそのように判断したのか。どんな事実や証拠を知ってここまで書いているのか。
自分自身こそ検察からの説明だけを鵜呑みにして「不起訴相当」という先入観だけで判断しているだけではないのか。
こういう記事を見ると,ニュースを書く記者が「事実」に基づかず偏見を振り回すことの危険性を感じずにはいられません。
(2010/01/27)
大山崎水裁判
先週土曜日に,大山崎町と京都府の府営水道を巡る訴訟について,長岡京市の市民団体向けの講演を行ってきました。
この裁判は,現在京都地方裁判所で争われており,3月に判決が出ます。
争点を,誤解を恐れずに単純化すると,
①大山崎町の「府営水道を1日3704立方㍍だけ買います。」という「申込」と,
②京都府の「府営水道を1日7300立方㍍買いなさい。」という「決定」の,
どちらが法的に正しいと言えるか,ということになるかと思います。
このことを巡って,行政法上・契約法上の理論的な争いから事実認定まで,様々な争点が出てくるのですが,私としては,この裁判は,地方分権のあり方を問う,非常に根深い問題だと考えています。
歴史的に見て,府営水道をはじめとする水政策が,国(国土交通省)や京都府の主導によってつくられ,流域の地方自治体がこれを下請けする形で進められてきていますが,これに大山崎町が「モノ申し」てこの裁判が始まったわけです。
しかし,そもそも憲法上,都道府県と市町村は「上下関係」ではなく,「独立・対等」が大原則のはずです(これを憲法学上の言葉で「団体自治」といいます)。
これまでは,「国→都道府県→市町村」,という上下関係の構造ができていて,各自治体は上位の機関の下請けをさせられてきたという歴史的経緯があります。
とはいえ,原則論から言えば,京都府が大山崎町に一方的に水道水の引受を強制できるとすれば,それは対等とは言えないでしょう。
結局,京都府側としては,一旦計画を立てて始めた以上,計画通りに市町村が水を買ってくれないと財政破綻になりかねない,という偽らざるホンネがあるわけです。
そうならないためにも関係市町村としっかり協議を行っていく,それが政治というモノですが,今回の京都府の対応は,少なくとも記録を見る限りそういう姿勢ではなかったように思います。
そういったことも含め,私としては,今回の争いは(最終的決着はともかく)大山崎町に理がある,と考えています。
もっとも,裁判所が弱者である大山崎町を勝たせるためにはそれなりの勇気が必要で,判決自体は予断を許しません。
ただ,この問題は裁判の帰趨を問わず問題になり続けますので,注目して見守っていきたいと思います。
(2010/01/26)
12月になりました。
早いもので,もう12月になってしまいました。
前回このページの更新をしたのが6月(!)ということで,あまりにも時間が経ってしまいました。。
未だ総括をするのは早いのですが,今年の夏以降は,極めて目まぐるしく忙しく,なかなか更新まで手が回らなかったというのが実情です。
この間に,長年取り組んできた事件が何とか峠を越えたり,逆に不当な裁判を受けてしまい,唖然としたこともありました。
ただ,この間,らくさい法律事務所を開設してから依頼をお受けしたお客様で,無事に解決に至った事件が数多く出てきています。
一部は差し支えない範囲で「お客様の声」などで紹介させていただいていますが,そうでないお客様でも,ご満足をいただけた方がおられたことはとても良かったと思っています。
月並みかもしれませんが,当初は厳しい顔つきや困り果ててこられた方が,問題が解決して明るい顔になられることは弁護士冥利に尽きます。
そういう,事件が良いかたちで解決した夕方や夜に,街をゆっくり流しながら歩くのが好きです。
私自身は酒もタバコも全くやらないのですが,「多分,こういうときには酒やタバコが美味いんだろうな」などと思ったりもします。
年末も多忙になってくるかと思いますが,気を引き締めつつやっていきたいと思います。
(2009/12/06)
ニュースを見て思うこと(3) その1
以下のニュースを見て,色々考えました。
法科大学院59校が定員割れ 今春入学、13校は50%未満(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009060501000739.html
現在,弁護士になるためには,大学を卒業後,年間200万円~300万円近くの学費を2年~3年支払って法科大学院(ロースクール)に通う必要があります。
その後,司法修習生と言う名の研修期間を1年間経た上で資格が与えられるのですが,この司法修習生時代に受けていた給与(おおよそ1年で300万円強)が2年後から貸与制になるといいます。
ということは,生活費や書籍代(これも馬鹿になりません)を除いても,弁護士になるための費用として,約700万円~1000万円くらいがかかるということです。
これを全て奨学金などでまかなうと,弁護士になった時点で,これと同じだけの借金を抱えて仕事をスタートすることになるわけです。
これは,よっぽど収入が高くないと,自己破産申し立てが認められてしまうくらいの危険水域だと思うのですが,弁護士は自己破産をした場合資格を失ってしまいますので,破産することもできません。
また,多くの場合,奨学金の連帯保証人に親御さんなどがついておられるので,その点でも自己破産は簡単にできません。
しかし,少なくともこの間,新人弁護士の給料(勤務弁護士を「イソ弁」と言います)は下がり続けていて,ひどい場合には給料なしで自分で事件を取ってきなさい,という「ノキ弁」という言葉ができたりしています。
しかも,弁護士は個人事業者ですので,多くの場合,社会保険・年金などは自己負担,当然退職金制度などもありません。福利厚生は限りなくゼロに近いです。
以上を総合すると,こういうことになるのではないかと思います。つまり,
親御さんが弁護士になるための費用である700万円~1000万円を用立ててくれる家庭でない限り,弁護士という進路を選択することは,経済的にかなり厳しい状況下に置かれる可能性が高い,ということです。
もちろん,弁護士は,自分自身が額に汗して動く職人的な仕事ですので,決して割の良い仕事ではありません。
しかし,お客様の人生や,会社の命運がかかった事件を扱うことも少なくありませんし,高いモラルを持って仕事をすることが強く求められます。
お客様も,「弁護士だから」ということでご信頼いただき,色々なご相談をしていただけるのだと,日々の仕事をしていて実感しています。
しかし,「貧すれば鈍ず」ということが,この間の弁護士の増員を見ていると,リアルに感じることがあるのです。
その具体的な例を,次回に述べたいと思います。
(2009/06/10)
真実の発見
ずいぶん更新ができていませんでした。
最近,最高裁で,大きな事件の判決が2つ出ました。
①防衛医大教授の痴漢えん罪事件(4月14日)と,②和歌山毒物カレー事件です。
それぞれ,①は逆転無罪,②は1,2審を維持して死刑判決確定,と明暗を分けましたが,どちらも色々考えさせられることの多い事件でした。
特に①は,判決文を読むとわかるように,5人の裁判官が3対2だったということなので,まさに紙一重の結果でした。
②はまだ判決文が出ていないので何とも言えませんが,直接証拠(犯行自体の目撃証言など)がない状態で,間接事実を積み上げ,推認によって有罪認定していることから,どのような判断をしているかについては一読の価値がありそうです。
いずれにせよ,刑事裁判というものは,過去に発生した(と思われる)事実が何であったか,真実に迫る手続です。
ビデオカメラで撮影でもされていない限り,実際に何が起こったのかは,まさに神のみぞ知る,ということですが,様々な証拠を検討する中で,少しでも誤りがないように万全の注意を払っていく必要があります。
もちろん,現在刑事裁判に携わっている裁判官は,過去に蓄積された誤認を防ぐ手法をつかって証拠を検討し,結論を出していきます。
ただ,やはり生身の人間がこれを行うために,どうしても誤りが出てしまう可能性が否定できません。
そこで,「疑わしきは被告人の利益に」という原則のもと,えん罪が起こらないように無罪判決を出すことになるのです。
ちなみに,日本の裁判制度は欧米のものを取り入れているわけですが,例えば英語で,有罪は「guilty(ギルティ)」といいます。
これに対して無罪は「innocent」と言いたいところですが,実は「not guilty」というのが正解です。つまり「有罪か無罪か」ではなく,「有罪かそうでないか」を判断しているのです。
日本では,「有罪・無罪」というため,その間にどっちつかずの空間があるように思え,「何となくあやしい」「灰色を逃がすのか」というイメージがあります。
しかし,裁判が,国家による刑罰をその人に与えて良いかを問う制度である以上,「有罪であると証明できなかった以上は刑罰を加えるべきでない」という大原則に立ち返ることがやはり大切ではないでしょうか。
最初に挙げた2つの事件は,それこそ膨大な証拠資料を読み込み,検察側と弁護側が主張を尽くした中で判断されています。
法的には一応の決着が付いた形ですが,今後も検証が必要となってくるものと思われます。
(2009/04/22)
We Shall Overcome Someday.
先週の金曜日(3月13日),京都職対連の40周年レセプションに参加してきました。
職対連についての詳細はリンクを貼っていますのでそちらに譲りますが,職業病,つまり労災認定や再発防止などの観点から労働問題に取り組むネットワークです。
私自身,今の事務所を構えてから,過労死や過労自殺の問題,あるいは労災や安全配慮義務の問題に取り組む際に,ケースによっては職対連と連携しながら取り組んでいます。
今回のレセプションは,長年事務局長を務めてこられた方が定年退職を迎えられ,今まで取り組んできた多くの事件を振り返りながらのスピーチがありました。
「けいわん」やユニチカの二硫化炭素中毒事件に始まり,過労死・過労自殺問題に至るまで,長く苦しいたたかいの,しかしとても心あたたまる思い出話を聞き,目頭が何度も熱くなりました。
しかし,なんと言っても感慨深かったのは,最後に参加者みんなで歌った「We shall overcome」でした。
この歌は,アメリカの公民権運動の時に歌われたと聞いています。
しかし,今日においては,過労死・過労自殺事件をはじめ多くの労災・労働事件において,とてもよくマッチしている歌だと思います。
「We shall overcome someday.deep in my heart,I do believe.」
(いつの日か,私たちは乗り越えていく,私はそのことを心から深く信じているのだ)
家族を失った悲しみ,体の健康を失ってしまった悲しみや苦しみは消えることがない。でも,いつの日か私たちはみんなでそれを乗り越えていく(いける)んだ。。。
この中には,自分たちと同じような被害・犠牲者がもう二度出てほしくない,という切なる思いも込められているように思います。
私が特に好きだな,と思うのは,最初が「We」という点です。
人間にとって,大きな悲しみや苦しみを一人で乗り越えていくことは,非常な困難を伴います。
特に過労死・過労自殺事件のように,大切なご家族が亡くなってしまわれた場合にはそうだと思います。
そのとき,ご自身だけで辛さを抱え込んでしまうだけではなく,ご家族を支える周りの人や私たち弁護士と気持ちを共有することで,「孤独」や見通しの立たない辛さを,少しでも軽くすることができるかと思います。
そして,事実が何であったかを明らかにし,残されたご家族が今後の生活についての正当な補償を受ける中で,亡くなった方の名誉も回復され,さらに再発防止のための取り組みがなされる先に,亡くなられた方の死を「overcome」していけるのだと思います。
決して忘れない,しかし残された人たちと一緒に再び歩きはじめる,という意味で。
最後に,参考までに1,2番の歌詞をあげておきます。邦題では「勝利を我等に」という訳が付されていますが,個人的には「overcome」するのはもっと広く,それぞれの心の中のことまで含んでいるような気がしています。
1.We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome someday
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday
2.We shall hand in hand
(いつの日か,私たちは手を携え,共同する,私はそのことを心から深く信じているのだ)
We shall hand in hand
We shall hand in hand someday
Oh deep in my heart
I do believe
We shall hand in hand someday
(2009/03/16)