元職員が京都府医師会に全面勝訴

退職金差額分支払い請求訴訟

京都地裁が判決

支払われるべき額の半額しか退職金を支給されなかったとして、京都府医師会の運営する看護専門学校の元教員が、医師会を相手どり差額分の支払いを求めていた裁判の判決が1991年12月26日、京都地裁であった。下村浩蔵裁判官は原告側の主張を全面的に認め、医師会に対し差額分約65万円を元教員に支払うよう命じた。

教員として勤務

訴えていたのは、西京区山田南山田町、団体職員(41)。1987年4月から1990年7月まで、教員として勤務した。

京都府医師会は、退職金の支給額について、1987年3月の理事会で「1年の勤務に対し月給2カ月分を支給」との旧規定を改め、「1987年4月以降の採用者には、1年の勤務につき月給1カ月分」とする規定を承認。団体職員には、この新規定を適用して、3年間分65万5680円の退職金を支払った。これに対し、団体職員は「労働契約を結んだのは、1987年3月だから旧規定の適用を受ける」などと主張していた。

タクシー2社国賠訴訟

京都地裁判決(1992年7月)

労災給付は調査不足

京都上、京都下両労働基準監督署長が十分な調査をせずに労働者災害補償保険の給付を続けたため、高額の保険料を払わされたとして京都市内のタクシー会社2社が、計2045万円余りの国家賠償を求めていた裁判の判決が1992年7月17日、京都地裁であり、小北陽三裁判長は「調査は不十分だった」と労基署長の過失を認め、国に1449万円余りの支払いを命じた。労災保険を給付した労基署の過失を認めた判決は珍しい。

労基署長の過失を認める判決

訴えていたのは、京都市左京区のアオイ自動車と京都市南区のギオン自動車。

追突事故でむち打ちの症状

判決によると、アオイ自動車の2人の元運転手は、それぞれ1977年3月と1978年7月に業務中の追突事故でむち打ちの症状を訴え、9年4カ月間と8年2カ月間にわたって労災保険の給付を受けた。ギオン自動車でも元運転手が1984年2月に追突された事故で給付が始まり、1986年8月まで支給を受けた。アオイ自動車、ギオン自動車とも基準額の4割増の保険料を支払っていた。

小北陽三裁判長

小北陽三裁判長は、ギオン自動車の元社員は1985年8月上旬には治癒。アオイ自動車の元社員も1978年7月、1980年10月にはそれぞれ治っていたと認定。「労災保険法の各種調査権限の行使は労基署長の自由裁量にゆだねられている」としながらも「労働者の症状に客観的な疑いがもたれるのに、調査権限を行使しなかったのは注意義務を怠ったものといわなければならない」と述べ、原告の主張を認めた。

裁判で、アオイ自動車は「京都上労基署長は、いつも同じ内容の診断書が提出されていたことを疑問視すべきだった」と主張。ギオン自動車は「事故は軽微でむち打ちが生じない」と申し入れたのに、京都下労基署長が無視して給付を続けたのは違法と訴えていた。

これに対し、国側は「元運転手たちは病院で治療を受け続けているうえ、診療費請求書は専門家らの審査、査定も受けていた」と反論していた。

京都労働基準局のコメント

判決について、京都労働基準局は「国の主張が認められなかったのは残念。判決の内容を検討し関係機関とも相談して今後の対応を決めたい」と話している。

労組事務所の明け渡し請求を棄却判決

京都地裁(相沢哲裁判官)(1993年5月)

南山城学園側敗訴

「建物を壊して身障者用のスロープを設置するから労働組合事務所を明け渡せ」と、城陽市富野狼谷、精薄者援護施設「南山城学園」が南山城学園労組の「全国福祉保育労組京都地方本部洛南支部南山城学園分会」を相手取った訴訟の判決が1993年5月18日、京都地裁(相沢哲裁判官)であった。相沢裁判官は「スロープ設置の必要性はなかった。さらに学園側が新しく提供する代替建物は狭くて組合活動に適さない」などの理由で、南山城学園の請求を棄却した。

判決によると、南山城学園側は1974年ごろ、学園敷地のほぼ中央にある食堂と調理場に隣接する建物を組合事務所として期間を定めずに南山城学園労組に貸し出した。1988年に入り口に階段のある食堂を利用する高齢者や車いす利用者のためにスロープを設置することなどを理由に、事務所の取り壊しを計画。南山城学園労組に事務所の明け渡しと、敷地の別の場所に新築する建物への移転を申し入れた。

不当労働行為を主張

これに対し南山城学園労組側は、「階段を利用して出入りする園生や車いすを利用する人は少ない。移転先の建物は敷地のはずれにあり、立地が危険で通行も少なく、効果的な組合活動は期待できない。明け渡し請求は不当労働行為に当たる」と主張していた。

判決理由

判決理由で相沢裁判官は、スロープ設置について「食堂を利用する園生の数は減っており、車いす利用者も少ない。スロープの幅を狭くすれば、事務所を取り壊さなくてすむ」と判断。移転先事務所について「フロア面積が狭く、組合の会議などには使用しにくいうえ、砂利採取場の崖に隣接するなど危険だ」などと認定、明け渡しを求める正当な理由がない、とした。

運転手の過労死認定~大阪高裁逆転判決

12年の妻の訴え実る

1995年4月

長距離トラックの運転手だった夫がくも膜下出血で死亡したのは、長時間労働による過労が原因として、遺族が京都南労働基準監督署長を相手取り、労災による遺族補償不支給処分の取り消しを求めていた訴訟の控訴審判決が1995年4月27日、大阪高裁であった。山中紀行裁判長は発症前約3週間の蓄積疲労による過労死と認め、請求を棄却した一審の京都地裁判決を取り消し、労災と認定する判決を言い渡した。

訴えていた原告は、京都市の女性(60)。

判決によると、夫(当時41)は、京都府内の運送会社に勤め、京都-東京間の長距離トラックの運転手をしていた。1983年4月11日朝、東京に到着して積み荷を下ろす作業中、脳動脈りゅう破裂によるくも膜下出血を起こし、3日後に搬送先の病院で死亡した。

山中紀行裁判長

死亡と業務との因果関係を認定

山中紀行裁判長は、米三さんの発症前約3週間の業務内容について、労働省が定めた自動車運転手の労働条件の最低基準に照らして検討。「基準に違反する長時間の拘束、運転が多く、21日間休日もなく、慢性的な睡眠不足、過労状態に陥っていた」としたうえで、「荷下ろし作業で血圧が急激に上昇したことが、脳動脈りゅう破裂の直接の引き金となった」と述べ、死亡と業務との因果関係を認めた。

1995年2月、認定基準を緩和

過労死をめぐっては、労働省が1995年2月、認定基準を緩和。これまで原則として判断の対象にしていなかった「発症前1週間より前の仕事」の内容についても、場合によっては検討するよう改めた。

女性は「ここまで来るのに12年もかかった。国は、遺族をもっと早く救済できる体制づくりをしてほしい」と話している。

京都労働基準局労災補償課の話

判決の内容を十分検討し、関係機関とも協議のうえ対応を決めたい。

結婚強要は人身売買 仲介業者に賠償命令

アジア女性騙した

(1993年11月)

「コンピューター研修」の広告に応募して来日し、「花嫁あっせん業者」の強制的な見合いで日本人と結婚した後に別れたスリランカの女性(30)が「結婚を強要されたうえ、同意なしに離婚手続きが取られた」として、結婚の仲介業者を相手取り、慰謝料などを求めた裁判の判決が25日、京都地裁であった。

京都地裁・見満正治裁判長

1200万円の支払い命じる

見満正治裁判長は「人道的に許されない不法な行為で、人身売買に等しい」として、仲介業者に1200万円(請求額は5000万円)の支払いを命じた。判決は、アジアの女性と日本人男性の不正な結婚の手続きを「人身売買に等しい」と厳しく批判した。

長野県上田市の結婚仲介業者
スリランカ女性23人が来日

訴えられたのは長野県上田市の結婚仲介業者(66)。

判決によると、このスリランカ人の女性は「日本で3カ月のコンピューター研修をする」という広告を現地で見て応募。1987年9月、同じスリランカ女性23人と共に来日した。

パスポートを取り上げ

このうち3人が研修の募集主の業者を訪ねたところ、パスポートを取り上げられた。番号札をつけられ、日本人男性が一方的に選ぶ方式で見合いをさせられた。

署名を偽造

「結婚に応じられないなら渡航費や滞在費を払え」などと迫られたため、この結婚仲介業をテレビ番組で知って申し込んだ東京都内に住む不動産仲介業の男性(当時50)と1カ月後に結婚。1988年5月、父親の病気で一時スリランカに帰国した。再来日すると、この女性の署名を偽造した離婚届を一方的に出され、男性は別のスリランカ女性と暮らしていた、という。

アジア文化交流センターの支援で提訴

1989年2月から京都・アジア文化交流センターの勧めで、京都・アジア文化交流センター留学生寮(京都市伏見区)に移り住み、その支援を受けて1990年8月に提訴した。

無理に結婚させた慰謝料として700万円

判決は結婚のいきさつについて、「結婚仲介が目的なのに研修と偽り、拒否されると脅迫・いやがらせで承諾させた。不法で、人身売買にも等しい卑劣な方法」と認定。無理に結婚させた慰謝料として700万円、一方的に離婚させた慰謝料として500万円を支払うように命じた。

この業者は1979年から結婚相談業を始めた。日本人同士の見合いでは成婚率が低いため、1986年から日本人男性とスリランカ人女性の結婚の仲介を始めた。3年間で約70組を仲介し、日本人男性から1件あたり平均300万円の手数料を取っていた。この女性と結婚した日本人男性の場合は手数料として500万円を払っていた、という。

被告はノーコメント

この判決について被告側は「コメントできない」と話している。

原告の代理人小山千蔭弁護士の話

「業者の行為はアジア人蔑視(べっし)に基づいた人身売買で、犯罪的行為だ」との訴えが判決で明快に認められた。同じような方法で日本に連れてこられ、泣き寝入りしているアジアの女性を力づける司法判断だ。

多くは泣き寝入り
「アジアから来た花嫁」の著者で外国人労働者問題に取り組んでいる、フリーライター宿谷京子さんの話

国際結婚の仲介業者を管轄している役所はなく、どのくらいのアジアの女性が業者の仲介で日本人と結婚しているか、実態はわからない。裁判を起こすには強力な支援が必要で、孤立している多くの女性はもっと悲惨な状況で泣き寝入りしている。この裁判をきっかけに、仲介業者に対する最低限度の規制をしてほしい。

「お礼奉公」拒否に制裁は不当

看護学校の証明書不交付で京都地裁

1995年9月

看護学校を卒業後、関連の病院で働かないことを理由に卒業証明書や成績証明書を本人に交付しないのは、強制労働を禁じた労働基準法などに違反するとして、京都市内の看護婦(26)ら4人が、京都市中京区西ノ京車坂、医療法人社団洛和会を相手取り、各証明書の交付と慰謝料を求めていた訴訟の判決が1995年9月22日、京都地裁であった。

伊東正彦裁判長

伊東正彦裁判長は「被告が各証明書を交付しなかったのは、原告らの就職辞退に対する制裁と考えざるをえない」として原告側の主張をほぼ認め、被告側に各証明書の交付と、原告1人あたり5万円ずつの慰謝料の支払いを命じた。

原告の4人は1993年4月に被告側が経営する洛和会京都看護学校に入学し、2年間の教育課程を経て1995年3月に卒業した。4人は医療法人社団洛和会の運営する病院への就職を辞退した後、卒業証明書などの交付を求めたが、看護学校側は「看護婦の国家試験に必要な証明書は試験事務所に送っており、個人あての新たな交付は必要ない」などの理由で拒否した。

原告側の訴えを全面的に認める

この日の判決で、伊東裁判長は、証明書類の交付について「学校側は卒業生に対し、遅滞なく交付する義務がある」として、原告側の訴えを全面的に認めた。また、慰謝料についても「証明書の交付を拒否したのは就職を辞退したことに対する制裁と考えざるを得ず、原告らが精神的苦痛を受けたのは明らかだ」などとし、原告側が「看護学校を卒業後も関連施設での勤務を強要される『お礼奉公』は不当だ」とした主張を間接的に認めた。

交付を求める仮処分申請

これまでに、4人は「今後の就職のために必要だ」として、交付を求める仮処分申請を京都地裁に申し立て、1995年3月31日に認められている。学校側は各証明書を交付しなかったが、国家試験の試験事務所には送付されてあったため、4人は正看護婦の国家試験を受験し、合格した。4人は、在学中に受け取っていた奨学金を被告の学校側に全額返済したうえ、証明書がなくても就職できる病院をさがし、やっと看護婦として勤務できたという。

荒川英幸弁護士

判決について、原告側の荒川英幸弁護士は「お礼奉公をめぐり、泣き寝入りしているケースが多いだけに、同じような悩みを持つ看護学生らに希望を与える判決だと思う」と評価した。

控訴するかどうかは判決文を読んで検討

一方、被告側の洛和会ヘルスケアシステム本部の守本孝造部長は「主張が認められず残念だ。控訴するかどうかは判決文を読んで検討したい」と話した。

訴えを起こした4人は正看護婦を養成するコースにいた。2人は高校の衛生看護科を卒業、残りの2人は准看護婦養成所を卒業しているため、2年の履修コースだった。正看護婦、准看護婦を問わず、看護学校から各証明書を交付してもらわないと、国立病院などへの勤務は難しいという。

改善を求める通知を各都道府県知事に

厚生省はこれまで、看護婦と看護婦養成学校をめぐり、卒業後に関係ある医療機関で一定期間働く「お礼奉公」的な実態があるとして、改善を求める通知を各都道府県知事あてに出している。

当然の判決

今回の判決に対し、厚生省看護課の田村やよひ課長補佐は「この問題で准看護婦の就労中の奨学金返還をめぐる訴訟は何件かあるが、卒業証書にからむ訴訟はおそらく初めてだろう。『お礼奉公』の実態の根深さについては看護協会や労組関係者から指摘も寄せられている。1995年5月の通知は准看護婦に関するものだが、精神としては正看護婦についても同じで、口頭では伝えている。一般論で考えても証明書類を出すのは当たり前で、当然の判決だと思う」と話している。